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2009.01.22

【横山光輝】三国志全巻

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私の中国人の友人に子供があって、彼は日本生まれの日本育ちである。国籍だって日本であるし、母は日本人である。中国に行った事は数えるほどしかない。なので中国語は全く出来ない。

その子供と友人は確かに親子なのだけれど、親子の会話が成立しにくい。友人は中国人といえど日本の生活が長いので、仕事の上でも言葉が問題になることはさほどないのだが、親子の会話となると言葉がたまに通じない。私が一緒にいる時は私が間に入って通訳をしている。通訳するというのは中国語と日本語の間のことでもあるが、文化的なものもある。友人は私の1つ上くらいの世代の人であり、子供は私の2つか3つくらい下の世代の人である。だから基本的に文化の共有がない。こういうのは同じ日本人同士の親子間でもあるのだろうけど、この二人は生まれ育った国が違うのだから、更にその差は大きくなる。かと言ってこの親子は仲が悪いわけではない。むしろかなり良い。だからこそ時折言葉が通じず、文化を共有されていないのが惜しいのである。

「どうにかならないでしょうか?」と、ある日友人から相談を受けた。

友人は将来自分の子供には中国語をペラペラ話せるようになって欲しいのである。でも本人には全くその気が無い。日本で生まれて、日本で育って、日本語しか出来ない。日本のテレビが好きで、日本のゲームが好きで、日本のマンガが好きである。中国は、汚くて、面倒で、イケてない国だと思っている。事実その通りなのだけど、私はあちらの国にしょっちゅう行き来し、あちらの文化を好み、言葉を学びして、汚くて面倒でイケてないのは百も承知ながらも捨てきれず愛憎入り混じった複雑な感情を抱いている。しかし子供は中国を憎くもないようだが、愛もない。返ってこの方が友人にとっては残酷なようである。

「少なくとも言葉だけは出来るようにしたいのですが、無理に押し付けて嫌いになられるのも困るのです」

・・・かといって「汚くて面倒でイケてない」国の言葉をどうして勉強するだろうか。私の父は八十年代の中国を旅行した経験があったけれど「あんな遅れた国の言葉を勉強して何になるのか?外国語をやるんなら英語をやれ」と言って私が中国語を学ぶことについて始終反対していた。私は中国へ行く前に勉強を始めて、留学で初めて中国へ行った。それ以前に他の外国に行った事もないし、今もあの国以外の外国へ行った事はないのであるけど、もし中国語を勉強する前に中国へ行った事があれば、中国語を学んだかどうかはわからない。

とりあえず考えておきます・・・とだけ答えて友人と別れた。それから1ヶ月ほどこの事を自分自身のことのようにして悩んだ。このことは私にとっては全くの他人事ながら、私自身にとっても重要な何かを含んでいる問題であるに違いない。

外国語を学ぶということは、その国の持つ様々なものを、自分の運命の中に背負い込んでしまうものだと、中国語を学び始めて数年してから知った。私は中国語を学んだだけの普通の日本人なのだが、周囲の人々はまるで私が中国人であるか、中国の代表であるかのようにして、中国について聞き、中国の政治・経済・外交について聞き、ある時は怒り、非難した。就職活動の時には面接官に叱られた。その後その会社に入社したのだけれど、聞いてみると面接官は元々台湾にいた方で、その経験で大陸のことが嫌いであるらしい。大陸に留学して、言葉も出来るとはケシカラン!という感情らしくて、そんなことは私に言われても困るのだけれど、とにかくそういうことで、私の同級生も似たような経験を他でしたそうなので、珍しい事例でもないようだ。この数年でこそ「これからは中国の時代だから、中国語を勉強して良かったですね」とつまらないお世辞を言われたりするけれど、十数年前はこんな扱いを受けるのが珍しくなかったのだ。

・・・なので、友人の子供が中国語を学ぶように仕向けるのは気が重い。私の気持ちの上では映画「パルプフィクション」の中で戦友の子供に祖父伝来の腕時計を渡すあの帰還兵になったような気分がしてならない。

1ヶ月悩んで、思いついたのはとりあえず中国を好きになってもらおう、ということである。今時の日本の少年が、現代中国の何かに心ひかれるとは考えにくい。オバマ氏はカッコいいということで、演説のCDが売れているそうだが、胡錦濤主席がカッコいいと評判になって演説CDが売られているとは聞いたことがない。中国は「I hope, I believe, Yes We can」という国ではない。「堅持党的基本路線保持一百年不動揺」という国なのである。

そこで思い当たったのが三国志である。何故か日本の男子は三国志を愛読するのがこの何百年かの慣わしなのである。私は吉川英治と岩波の訳で読んだけれど、こういう文字ばっかりのはまだあの子供には早そうである。しかしマンガがあるではないか。ああそうだ、それがいい、と思って横山光輝の三国志を買い集めてみた。

14年前に、横山三国志を読む機会があったのだが、何巻か読み進めて根をあげてしまった。登場人物の顔がどれも良く似ているので、途中で誰が誰だかわからなくなるためである。それと横山三国志は三国志の大筋を追うくらいの内容であって、劉備はあんなに誠実な人ではないと思うし、曹操はもっとあくどい人であるべきだと思うし、夏侯惇が矢に刺さった自分の眼を食べる描写もない。あちこち割り引いて差し引いた内容になっている。でもその方が子供に中国への好感を持ってもらえそうである。

子供に全巻渡す前に、一通り読んでおかねば後で話が通じないかも知れない。ロクに読んでもいないのに「面白から読んでみてよ」と渡して、後で読んでないと知られるとマズいことになりそうだ。子供はそういうところに敏感なのである。忙しいので、こんな長いマンガを読んでいるヒマは無いのだが、これも人助けのためである。とりあえず三国志全巻を読破した。

この年になってから、三国志を改めて読むとやはり以前とは印象がかなり違うし、マンガのは初めてなので、前述の通りあれこれエピソードが差し引かれてすっきりしたため、「蜀漢とは何だったのか」というのが更に明確になって見えてくるとも思うのだが、最近の私の状況もあってか、今回私が三国志に抱いた感想は「長期的な視野に立つ経営戦略を持たなかった創業社長が、若い天才コンサルと出会って会社を一応立て直したんだけれど、やっぱり手を打つのが遅すぎました」という話なんだな・・・ということである。ものすごく残酷な話である。無策にして出遅れ、策士を得るも遅すぎて、見限った身内に次々と裏切られて滅びていくのである。こういうものを読ませて、子供のためになるのだろうか・・・と少しためらうが、たぶんためになるのであろう。人によってこの物語から学ぶ事は違うとは思うものの、学ぶところの多い物語であるには違いない。そして私の願いとしては、友人の子供が三国志を読むことを機会に、中国を好きになって、中国語を学ぶようになって、いつの日か父と中国語で三国志について歓談するようになってくれれば、それでいいのである。

三国志 (1) (潮漫画文庫)

著者/訳者:横山 光輝

出版社:潮出版社( 1997-11 )

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文庫 ( 413 ページ )


横山光輝三国志大百科 永久保存版

出版社:潮出版社( 2003-04-22 )

定価:¥ 2,000

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単行本 ( 240 ページ )


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私が中国に惹かれたきっかけは、高校の頃に読んだ山田章博(百花庭園の悲劇:青心社)のマンガからです。内容的なものではなくそこに描かれる香港の風景、とくに建具や建築物にひきつけられました。それ以前に私の興味の傾向が、伝統的なもの、古いものにもありましたから、これに目が止まったのでしょうね。内容はというとちっとも中国的ではありませんが、まあ、後になってみればきっかけなんてあまり問題じゃなくなるのかもしれません。

その作品は、君に貸して貰って何度も繰り返し読んだ記憶があります。(その節はありがとうございました)。あの作品の内容はほとんど忘れてしまいましたけど、あの絵の空気感は未だに忘れられません。

香港にも上海にも住みましたけど、私の感覚では百花庭園はどちらかといえば上海の雰囲気。フランス租界の西奥のあたりではないかな・・・と思います。去年縁あって台湾人が所有している旧フランス租界のお屋敷にお邪魔したことがあるんですけど、その思いをさらに強めました。

上海に住みついてから読んだ大城 立裕の「朝、上海に立ちつくす―小説 東亜同文書院 」と伴野朗の「上海伝説」は百花庭園と似たような空気感の上海を書いている。たぶん、これらのイメージにはどこかに共通のルーツがあるのではないかと思う。これについてはこのブログでいつか書こうと前々から思っているのだけれど、私自身が今は上海から遠ざかっているので全く進まない。関連する書籍なんかは少しづつ集めているんですけどね・・・。

まぁともかく、友人の子供にはなるべく良いきっかけをつくってあげようと思います。コメントありがとうね。

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