2009.02.12
【大阪名水処】青湾(都島区)
北大阪周遊自転車道を走っていると、こういう石碑があります。いつもこの前を通っていて、気になっていたので、立ち止まって横の解説をよく読んでみました。
↑場所的にはこのあたりです。
↑クリックすると拡大できます。
・・・なるほど、昔この辺りは名水処だったのですな。今からは想像つきませんけれど、400年以上前になれば、たぶん都島のこのあたりというのは、ものすごい田舎だったに違いありません。水だってとてもきれいだったのでしょう。
気になって色々調べて見ますと、
http://www.city.osaka.jp/miyakojima/spot/place/index.html
都島区のオフィシャルホームページで詳しい解説がありました。
青湾の名称は秀吉に仕えた茶人・大江青湾に因む、あるいは秀吉が明使献上の西湖の水を数壷沈め、移植した西湖の柳が青く映ったことに因むなど、幾つかの説がありますが不明です。
この「西湖」とは無論中国杭州の西湖でしょう。それにしても明の使節も変なプレゼントを持ってくるものです。「献上」という言葉がひっかかります。それにしても明の使節がどうしてこの時期に来たのでしょう?
ちょっと調べてみたところ、
http://toron.chu.jp/record/minshi/chu700/note657.html
この時にやって来た明の使節とは「楊方亨」という人物です。「册封使」とありますので、彼らの方からすれば西湖の水を「献上」したのではなくて「下賜」したのですな。それにしてもどうして折角の水をこの青湾に沈めてしまったのでしょうか?たぶん長旅の間に腐っていたとは思うものの・・・
http://chinaalacarte.hp.infoseek.co.jp/kanshou-51.htm
このやり取りの日本側の記録は残っていません。明側の記録では自らの望む条件が何一つ容れられていないことを知った秀吉が怒りのあまり書面を叩きつけたという記録が残っているそうです。
ふむふむ・・・ここで中国側の言い分を見てみようと思います。
http://tieba.baidu.com/f?kz=193593128
↑こちらの13番に「豊臣秀吉は日本で天皇に命ぜられて諸侯の地位にあるので、封号を受けるのを拒絶した」とあります。本来に日本国を册封するのならば天皇に対して話を持っていかないといけないわけですから、秀吉の方では「そんなもん勝手にこっちで受けられません」というところでしょうか。先の解説では「怒りのあまり書面を叩きつけた」とありますが、どちらかといえばあまりにもの筋違いに驚いてしまったのではないでしょうか。西湖の水も腐っているかどうかはさておき、すんなりとお受けできないものでしょう。
もしかしたら今でも、よーく探したら、西湖の水を詰めた甕があの辺りに埋まっているのかも知れない・・・と思いますが、やっぱり無理でしょうか。
いつも走っているあの道で、400年以上前の日中外交史の痕跡があるとは思いも寄りませんでした。





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