2009.04.27
【大阪渡船大全】天保山渡@安治川
桜島から天保山へ
先日大阪北港の舞洲を走ってきた時の帰りに、渡船に乗ってみた。北港というのはほとんど自分には用のない場所であるものの、何故か年に1回くらいのペースでここの渡船には乗っている。子供の頃にはここの渡船に乗るためだけに、学校を終わってから自転車で天保山に乗りに来ていたこともある。
上掲は渡船場にある由来云々の表示。写真では読みにくいので、以下に書き出してみようと思う。
天保山渡船場(えんぽうざんとせんじょう)
江戸時代、安治川の開削によって上流の流砂が堆積し諸国廻船の航行に支障が生ずるようになったので、幕府により、天保2年から2年の歳月と延べ10万1200余人を動員して「御救大皿浚」と呼ばれる大工事が行われた。
そのときの川底に土砂が積み上げられてできた山を、幕府は「目標山」と命名したが、天保年間にできたことから、人々は「天保山」と呼ぶようになり、現在は標高4.53mの「日本一低い山」として知られています。
その天保山(港区築港3丁目)と此花区桜島3丁目を結ぶ(岸壁間400m)位置に天保山渡船場があります。
明治38年に開設されたこの渡しは、大阪港の繁栄を企図した大阪市が港湾振興策の一環として始めたもので、昭和15年までは市の港湾部が所管していました。
その後の管理は、土木部(現建設局)に移され現在にいたっています。
小学生の頃から、こういうものを真面目に読むのが好きであった。港区の歴史というのは、この安治川の開削と、その維持と、新田開発の歴史である。これら地域の歴史をいつかまとめて読んでみたいと思っているのだけれど、なかなか機会に恵まれない。2年前に天満の古本屋で、このあたりのことを1冊にまとめた手ごろな本を見つけたのだけれど、次回来た時に買えばよいと思っていたら、誰か他の人が先に買ってしまったようで、見つからなかった。
最初「目標山」と呼ばれたというのは、何とも昔の人の命名は単純であると思う。「天保山」の方がまだ気が効いている。大正区には「昭和山」というのがあり、こちらは地下鉄掘削の残土で作ったものである。発生の経緯と命名の方法についてはほぼ同じようなものであるが、今後も土砂だの残土のカタマリにその時々の年号の名前がつけられるのかと思うと少し不敬な気がするのだが・・・。
「標準時刻表」である。上が平日用で、下が土・休日用。何が違うのだろうかと思って良く見ると土・休日用は朝の6時15分発がない。6時30分からのスタートである。非常に微妙な差であると思う。元々此花区の船着場のあたりには工場が多く、そこで勤める人たちのためにここの渡船があると聞いた事がある。確かに昔子供の頃にここの渡船に乗ると労働者風の乗客が多かった。平日の朝6時15分の始発というのは、その工場の勤務開始時間と関係するのだろうか。
こちらは此花側の乗り場の手前にある防波堤につけられた看板である。渡船というのは防波堤に遮られたその向こう側にあるものなので、うっかりしていると見落としてしまう。
防波堤を越えるスロープの上から見下ろした様子。鉄道駅というのは、線路もあって、架線もあって、何かと賑やかで、やたらとスピーカーからアナウンスがあってやかましく、鉄道駅としての存在感というものが濃厚であるけれど、渡船場というのは、船さえ来なければ、ただ単に水際にある小屋に過ぎない。渡船はタダなので券売機もない。船を待つ以外にやる事は何もない。渡船場というのは、この緊張感のなさが何とも言えずよいのである。
対岸を臨む。港区に生まれ育って、港ではよく遊んだけれど、これらの海遊館だのマーケットプレイスだのというのが作られ始めたころから、この辺りとは疎遠になった。なのでこのあたりの光景は未だに馴染みが薄く、私にとっては異物感が大きい。
・・・と思っていたら渡船がやって来た。これから先は一番先頭に置いてある動画の通りである。
渡船の上で港区側を見ていると少し変わった形の船があることに気付いた。漁船でもないし貨物でもない。無線やらレーダーの装備はしっかりしているようだけれど、砲をつんでいないし、コーストガードの船を意味する青い線も入ってない・・・近づいて見てみれば水産大学校の練習船「天鷹丸」であった。
http://www.fish-u.ac.jp/b_rensyusen/top.html
この波止場には、たまに外国の大型客船やら、海上保安庁の巡視船がやってくる。そういうのを見に来るのも楽しい。渡船は大正区の方にたくさんあるけれど、大正区の渡船場の近くにはこういう船はやってこないし、マーケットプレイスもUSJもない。大阪の渡し船を楽しむ上で、天保山渡しは何かと他のお楽しみの多く、渡船なんかには何の興味も無い、という方と一緒に行かれる際でも充分に楽しんでもらえると思う。
ストイックで地味な渡船場巡礼
それに比して大正区の渡しというのは、ただ実用的なものであって、渡船場の周囲にはこれと言って何があるわけでもなく、全ての渡船に乗ってみたいとか、全てでないにしろそのいずれかに乗るためだけに、大切な休日を費やして大正区へ行ってみようと思うのは、ある種の苦行に属する行為ではないかと思う。少なくとも家族ウケもしくは彼女ウケする休日のイベントにはなりえないはずだ。
村上春樹の作品「雨天炎天」の中に「ギリシャ編 アトス―神様のリアル・ワールド」という紀行文があるのだけれど、大正区渡船完全制覇というのはほぼそれに近いテイストを含んだものだと思う。美食も美女も物見遊山もなく、ミッキーマウスもハリウッドも関係なく、ただただストイックな、時間的な制限の中で渡船を巡るだけの地味な旅である。私はこのアトス旅行に憧れて、でも何故かアトスには行かず中国のあちこちでこのようなストイックで地味なサバイバルを求めて彷徨ったけれど、わざわざ中国まで行かずとも、それはお隣の大正区にあったのだ・・・続きは次回の講釈を待たれよ。












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