2009.09.25
大阪・難波宮跡と広島臨時首都に見る、私の郷土愛の不健全さについて
昔、中国語を学んでいた頃、同級生に広島から来た男がいた。
彼は面白い男であったけれど、一つ問題があって、しょっちゅうささいなことで激昂し、怒るのである。怒りっぽい人間は珍しくないが、彼の場合は「ささいなこと」が一つの特徴になっていて、それが彼の奥ゆかしい個性であると同時に、大きな欠点ともなっていた。
当時、彼は広島から大阪に出て来たばかりであった。同級生が集まって、ラーメンを食べにいこうという話になったのだが、その時に「美味しいラーメン屋があるのでそこへ行ってみよう」と提案した時に、「大阪で一番美味いラーメン屋はオレの住んでいる寮の近所の店だ!」と、彼は怒り出したのである。
行ってみると、特に変哲ないチェーン店であった。不味くないかも知れないが、普通の店である。怒る必要が何処にあったのかよくわからない。
私のお勧めの店に行くと、大変満足してくれたけれど、彼に改めて聞いてみると、彼は大阪に来てから、ラーメンはその寮の近くの店でしか食べた事が無く、他の店に行った事はないというのだ(!)。
「いやぁ・・・広島のラーメン屋はあんなに美味しいのがなかったから・・・」と恥ずかしそうに彼は言ったが、そういわれると広島のラーメン屋の標準的水準は一体どうなっているのかという疑問が出て来る。未だ確認しに行ったことはないので、その真実はよくわからない。
その彼は、いつも東京弁のような発音で話していた。というより、あれは全くの東京弁であったに違いないと思う。
「どうして東京弁なの?」ときいてみたら、
「広島はこれで普通だけど・・・広島の人がどんな風に話すと思ってたの?」と逆に質問されてしまった。
当時私は広島の人がこの映画の菅原文太のような喋り方をするものだとばかり思っていた。
考えてみるとこれは大阪人はみんな漫才をするという全国規模の偏見と似たようなものである(確かに大阪人の会話は素で漫才っぽいと思うが)。
このことを彼に告げるとものすごく怒られた。これは私が悪いのではあるが、彼は怒りながらも、また一つ新たに不可思議なことを持ち出したのである。
「広島は昔首都だったから・・・だから東京弁をしゃべるんだよ!」
1回聞いただけではわからない内容である。なぜならばこの発言には2つの大きな疑問が含まれているからだ。
1:広島は一体いつの時代に、日本の首都だったのか?
2:仮に広島が日本の首都であったとして、どうして東京弁を使うのか?
以前、鹿児島の同級生が話す言葉があまりに面白いので、それをネタにしてみんなで笑っていたら(当時我々はみんなお行儀が悪かったのである)、彼は「西郷さんが勝っていたら、鹿児島が日本の首都だから、鹿児島弁が標準語になって、みんな鹿児島弁を話していたはずだ」と言い返してきた。みんな更に笑ってしまったが、彼の考え方は健全である。どうして広島は日本の首都になっても広島弁を日本のスタンダードにしようとせずに、東京弁を取り入れてしまったのだろう?
■広島(ウィキペディア)
特に日清戦争時には広島大本営が置かれて帝国議会が開かれるなど、臨時の首都機能を担った。出征拠点であった宇品港(現広島港)や三菱重工業などの軍需工場が集積し、陸軍第5師団(戦争末期には第2総軍も)がおかれた。近隣の呉市には海軍の呉鎮守府・呉軍港・海軍工廠、広島湾には江田島に海軍兵学校があり、軍事拠点としての重要性は日本有数だったといってよい。
彼が言っていたのはこのことであるらしい。首都機能が広島に移ってきた時に、東京の人も一緒にやってきたわけだから、そこで東京弁が広島に伝播されたのではないだろうか。但し日清戦争当時の明治政府の軍人や官僚たちが本当に東京弁を話していたかどうかは少し疑わしい。薩長土肥の人たちが多かったように思われるので、それぞれの方言で話していたような気もするし、方言が複数存在するからこそ、早くから東京弁(といおうか標準語)に統一していたのではないかという風にも考えられる。
難波宮跡の説明書きを読んでいると、大化改新以来約150年間、大阪は日本の首都・副都であったそうだ。今から千年以上前の話なので、あまりピンとこない話だが、そういわれると「それはすごいな」と思うものの、やっぱり実感のない話だ。
難波宮跡の前を自転車で走るたびに、かつてここに都があったのだ・・・と感慨を深くする。ただそれと同時に10数年前の同級生の「広島は日本の首都だった」という言葉が脳裏に甦って、感慨は余計に深くなる。
大阪がかつて約150年間日本の首都・副都であったということは、広島が日清戦争の頃に臨時首都であった・・・ということよりも、ずっと明確な歴史的事実である。だからといって広島の彼のように、それを他県の誰かの前で広言しようという気にはなれない。
私はこの件について未だ明確な結論を出せないでいる。私は歴史感覚が鈍感なのか(中国人ならば自分の故郷がかつての都であったなら、それが数千数百数十数年前の1年間だけのことだったとしても、未来永劫全世界に向って叫び続けることだろう)、皇室を敬う気持ちが薄いのか、広島の彼は正しいのか(正直なところ彼の単純明快な健全さに憧れている)、私は郷土愛が足りないのか、もしくは歪んでしまっているのであろうか・・・。
というわけで、難波宮跡の前を通りかかるたびに、心の中にむず痒いものを感じている。しばらくこの痒みは解決しそうにないが、これが解決すべきものであるのかもよくわからないでいる。たぶん、だからこそむず痒いのであろう。








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