2009.11.17
【大阪奈良100km】水越峠・竹内街道をゆく

▲水汲み仕様のOCR3300。ボトルケージにささっているのは1.5Lのペットボトル。
・走行時間:6時間35分25秒
・走行距離:100.99km
・平均速度:15.3km/h
・最高速度:53.8km/h
・積算距離:4745.5km
※:上記はOCR3300による走行記録です。
水越峠へ行く道は、まずはいつもの南河内サイクルラインを通って、それから川西大橋の更に上流にある高橋というところまであがる。赤い欄干が目印でここから向きを変えて山へ向って登っていく。
この地図でいえば真ん中の目印(赤い風船みたいなの)のところで川を遡るのをやめて、90度曲がって、地図の左下の方へ向って走り始めるのである。途中厳しい坂もあるが、大体は楽しい坂道である。少し登っては下りがあって、また少し登っては下りがある。うまくやれば下りの勢いで坂を登って、その繰り返しでスイスイと走り続けることが出来る。今年の9月に千早赤阪村まで来た時は、この道が一体どこまで続くのかよくわからなかったので、途中で引き返してしまった。
■【南河内サイクルライン】大和川⇒石川⇒そして憧れの千早赤阪村へ
家に戻ってからそれが水越峠に続く道であることを知ったのだけれど、それから2ヶ月。ようやく水越峠へ向うことが出来た。2ヶ月前には「大発見」であった千早赤阪村も今回は長い道のりの前半の通過点の一つに過ぎない。この村はじっくりと散策してみたいと思っているものの、今回は時間に余裕がない。
あまり早すぎて寒く暗いのも宜しくないので、日が出て暖かくなってから出発して、日が落ちるまでに帰ってくるのがよかろうと思い、朝8時50分に大阪の自宅を出発し、千早赤阪村に着いたのは昼前ごろだった。この日の日の入りは16時30分ごろ。なのであと5時間で水越峠を越えて、奈良に入って北上し、竹内街道を越えて大阪に戻らねばならない。全く走った事の無い場所、しかも峠道2つを、時間制限付きで走破しなくてはならないのだから、あんまりのんびりとはしていられないのである。
左に見えるトンネルは国道309号線のバイパス道路である。目指す水越峠は右側の旧道にある。この分岐はYOUTUBEでも見た事があるので、着くとすぐにわかった。わかっているものの、この細い道を恐る恐る進んでいくと、本当にこれがその旧道なのか、と疑いたくなってくる。何か関係のない脇道なのではないかと。バイパス道路が出来るまではこちらが国道だったとは信じがたい。
辺りがこんな風景になってくると、不安は更に大きくなる。自転車でこんなところを走ってもよいのだろうか・・・しかしこのあたりを走っている時に、3人ほどの自転車人とすれ違った。登山で他の登山客とすれ違うと知らない同士でも挨拶をするけれど、自転車人も同じ事で声を出して挨拶をする。但し自転車人同士の挨拶は、少し意味深な笑みを浮かべているように思える。同病相哀れむという言葉がちょうどぴったりくるような、「あなたもですか(笑)」と言わんばかりの気持ちを込めた挨拶である。
坂があまりきつい時は無理をせず自転車を降りて押して登った。見通しが悪い道も同じくである。峠道はカーブがきつく、木が多いため、うっかりしていると突然目の前に自動車が出現する。初めての峠でもあるし、慎重に少しづつ登って行く。ほとんど自転車を押して登山しているような状態になる。坂が永遠に続きそ うな気がするものの、永遠に登りが続くわけもない。あるところから、下りになって楽になる。しかしそうなると、「祈りの滝は何処にあるのだろうか?」と心 配になる。坂を登るのに専念しすぎて、うっかり通り過ぎてしまったのではないかと不安になる。まぁ、いいか・・・と思うものの、ここで水を汲まなければ何 をしに来たのかわからなくなるし、今までの準備も「水の泡」である。引き返してもう一度探してみようか?と思うものの、ここで時間を無駄にすれば日の出て いる内に大阪へ帰れなくなるかも知れない。
さて、どうしたものか・・・と思っていると祈りの滝は目の前に現れた。水は無事汲む事が出来た。ここの水に関する詳細はまた改めて別に書くことにして、筆を先に進めることにする。
峠道をのぼって行く時は、一生懸命にペダルを踏み続けなくてはならないので、体中汗だくになって夏のような暑さを感じる。11月というのに、ウィンドブレーカーを脱いでジャージ1枚になってもまだ暑い。但し下りに入ると今度は全く身体を動かすことなく、坂道をずっと惰力で走り続けることになる。メーターを見ると時速50kmを越えることも珍しくない。そうすると、体温があっという間に奪われて身体が凍えて震え出す。特に寒かったのは足で、冷えすぎて足の筋肉がつりそうになるくらいであった。なるほど、シューズカバーというものの存在意義がよくわかったような気がした。ちゃんと冬用の靴を用意すれば良いではないか・・・と今までは思ったけれど、これほどに温度変化が激しいのでは登りはカバーをつけずに走って、下りはつけて走るようにした方が合理的である。
凍えつつも気持ちよく坂を下ると「名柄」の地名表示が見えた。これを目印に次は北上して竹内街道を目指す。この県道30号線はゆるやかな上り下りが続いて、自転車で走るととても楽しい。いつまでも勢いでどんどん走れてしまう。但し自動車の量が多いので要注意である。
折角奈良まで来たのだが、時間の都合ですぐ帰らねばならない。身体が冷え切ったので何か暖かいものを食べたいと思ったものの、この道の途中に適当な店を見つけることが出来なかった。そうこうしている内に「竹内」の表示が見えた。ここの十字路を左に曲がって進めば竹内街道である。時計を見れば既に1時を過ぎている。腹は減ったが日没はあと3時間あまりで始まる。竹内街道を越えてもすぐ大阪市内というわけではなく、それからまだ先があるし、今回はペットボトルで3リットルの水も載せているから、いつものように走りきれるかどうかはわからない。日が暮れれば気温も体温も下がる。死ぬ事はないと思うが、あまり安心できない。生キャラメルとチョコレートバーで空腹をごまかして、とにかく山を越えて大阪に入るのを優先することにした。一体この道のどこが「竹内街道」なんだか・・・と思いながら車道を走り続けて途中にこの写真のような道が見えた。こちらの方が本来の旧道なのである。
右上の道は自動車道。柵で封じられた向こう側にあるのが本来の竹内街道である。
■竹内街道(ウィキペディア)
竹内街道は日本書紀の推古天皇二十一年(613年)の条に「難波より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記されていた、日本最古の「官道」。 現在の竹内街道は、大部分は推古天皇時代の官道と重なっている。
柵を越えて少し進むとこんな道が見えてくる。看板や石碑が無ければ単なる林道か農道みたいにしか見えない小さな道だけれど、かつては大陸や半島の使節がこの道を通った・・・らしいのである。私は全くの日本人であるけれど、何かと大陸に縁が深くあって、今この道を走らせている自転車だって大陸製のものである。中国製の自転車なんぞ全く珍しくもないといえばそうだが、私のOCR3300はそんじょそこらのメイド・イン・チャイナではない。新鑑真号に乗って私と一緒に東シナ海を越えてきて、今ここにあるのだ。
しかしよく考えてみると鑑真和上も同じようにこの道を通って平城京を行き来したはずなので、新鑑真号に乗って大陸からやってきた中国製自転車がこの道を走るのはよほどの縁である。次に奈良へ赴くことがあれば、ぜひOCR3300に唐招提寺を参拝させてあげることにしよう。
そんな馬鹿なことを考えている内に道は消えた。見張り塔のような高台があって、左に階段が見える。ここを自転車を担いで登らねばならないのか?と思ったものの、この右手にトンネルがあって、ゆるい坂を登って先を進むことが出来た。
ゆるい坂を登って車道を横切りまた旧道に戻る。この辺りからは鬱蒼とした雰囲気は消えて下り坂になる。
何やら石碑が見える。
■うぐいすの関(近鉄)
竹内集落からしばらく国道166号線を歩き、上池脇で分岐する細い旧道に入る。国道と平行しているが木々にさえぎられて騒音はとどかない。竹内峠まで昔な がらののどかな道が続く。 竹内峠は大和と大阪の境界で、古くは「うぐいすの関」と呼ばれた。峠の西にある孝徳天皇陵は鶯陵(うぐいすのみささぎ)の別名があるから一帯は、はるか昔 からウグイスの名所だったのだろう。この関は明治の中ごろまで宿屋や茶店が立ち並び街道の要所としてにぎわったそうだ。
確かに茶店などがあると非常に良さそうな場所である。今でも茶店くらいあった方がいいように思うものの、この旧道を歩いて越そうとするような人は少なそうで、自分以外には一人だけこの筋の「プロ」のような男性を見かけただけだった。男性は途中で山道の奥に消えた。
「これより東は奈良県の管轄である」という石碑が見えた。つまり既に大阪へ入ったのである。この写真を撮ったのが1時半ごろ。余裕を持って大阪入りが出来た。もう少し奈良でゆっくりすれば良かったと思うものの、今回の走行は大阪・奈良間のルートの確立にある。空腹を耐えて先を急ぐことにした。
それから先の道はずっと快適な下り坂で、気持ちよく走りきることが出来た。途中野菜や米を売っているのを見かけた。何か買って帰ろうかと思ったが、どれもこれも量が多いし、モノが大きい。全く積みきれないので、今回はパスである。
「太子」という文字を見るとほっとする。プリンスエドワードのことを思い出すからだ。あそこには美味しい火鍋屋があった。しかしそれは香港の旺角の北側にある町であって、この太子とは関係がない。関係がないもののやはりほっとする。ここまで帰ればもう家に着いたのも同然である・・・と思ったものの、実際はここからの帰り道がきつかった。生キャラメルとチョコレートバーで空腹をごまかしているだけで、日が暮れかかって気温が下がり、体温がどんどん奪われていくから、体中が凍えてしまいそうになり、動きがどんどん遅くなって、九条の家にたどり着いたのは16時45分のことだった。
あわただしい1日であったが、今回の走行はほぼ予定通りで、ちゃんと水も汲めたし、ケガもトラブルも無く、大きな経験と教訓と自信を与えてくれた。また近い内に再チャレンジしてみようと思う。
週刊 「 司馬遼太郎 街道をゆく 」 22号 6/26号 竹内街道/葛城みち [雑誌] (朝日ビジュアルシリーズ)
出版社:朝日新聞社( 2005-06-14 )
定価:¥ 560
雑誌 ( ページ )



















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