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2009.10.23

【上海歴史写真】解放後の閘北区蘇州河畔地域の発展と「七浦路」の英語語源説について

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蘇州河を散歩しておりましたら、建物の壁に大きな写真がありました。

「1957年に上海市北駅副食品交易所が建てられた」とあります。

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閘北区といいますと、蘇北人を始めとする外地人・貧民の巣窟という印象で、老上海人に疎まれているような感じですが、確かにそういう趣きがあるといえばあるんですけど、蘇州河の周辺というのは、向かいが昔の共同租界で南京路だって近いですし、鉄道と蘇州河に挟まれているこの一帯というのは、外から人がどんどんやってくるだけではなく、往時の物流の中心地ともいえますので、解放前からそれなりに栄えた地域のはずなのですが、どうも向かい側のまばゆい繁栄と比べると、目劣りしてしまうみたいで、損しているみたいです。上の写真の「東方図書館」というのは商務印書館が作った当時中国最大の図書館だそうで、第一次上海事変で日本軍によって破壊されております。右の「四行倉庫」は第二次上海事変の際に中国軍が立て篭もったので有名な場所なんですが、考えて見ますとどちらとも抗日史跡ですね。別に反日的なことは何処にも書いてないんですけど、中国人だったら見た瞬間にこの写真が2枚並んでいることの「意味」がわかります。そのようにしてみますと、閘北というのは日本人にとって非常に縁の深い場所であるとも言えます。

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上海市髣ク北区天目西路
上の写真で示されている天目西路というのは地図上ではこのあたり。上海駅の南側にある東西に伸びる道路です。1963年に改名された、とありますが結構最近のことだったのですね。

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1980年代の七浦路の様子。服やカバン・靴などを商う店が無数にある七浦路ですが、20年ちょっと前まではこんな地味な場所だったんですね。以前上海の友人が「どうして『七浦路』(チープルー)っていうか知ってるか?『チープ』(Cheap)なものばっかり売ってるからだよ」・・・と言ってましたけど、その英語起源説が本当かどうかはよくわかりません。租界時代の地図で確認すると「七浦路」もしくは「TSU POO ROAD」という文字が見えますから、古い名称であるのは確かのようです。そんな昔から「チープ」なものを売っていたのでしょうか?

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調べてみますと、七浦路が築かれ始めたのは19世紀末の光緖年間のことでして、1920年代には茶葉を扱う店や工場がたくさんあって賑わっていたそうですが、戦争や文革のたびに破壊されて、現在の繁栄に直接つながるのは1979年以後のことだそうです。

租界時代に売っていたお茶が「チープ」だったのかどうかわかりませんが、少し東に行ったところに「乍浦路」(CHA POO ROAD)というのもありますし、外灘の南側には「十六浦」があるくらいですから、「なんちゃら浦路」というのは結構ありそうでして、やっぱり「チープ」はたまたま音が似ていただけのことだったんじゃないのかな?と思われます。

時空旅行ガイド大上海

著者/訳者:広岡今日子 榎本雄二

出版社:情報センター出版局( 2006-10-13 )

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単行本 ( 188 ページ )


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